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タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

この辺では桜の名所だというので行ってみた 神戸会下山公園

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神戸に引っ越してきて二年が経って会下山(えげやま)公園が桜の名所だと、 今年に入って初めて知りました。 情弱なブログ主です。(汗) 情弱と言いましたが、 情弱がどういう意味か、 実はよくわかってない。(汗) 情報弱者とはまた違うのだろうか? いま一般に使われている意味としての情弱とは、 少し違う使い方かも知れません。 情報を得る環境にあるにもかかわらず、 自分から積極的にそういうツールなどを使うのが面倒くさい、 億劫、興味がわかない、 という意味で使いましたが、 たぶんそういうことも包含されていると思うのですけれども。 要は自分がぐうたらな人間だと、 自分を卑下して言ったのです。 わたしはわたしのあらゆる面において、 その大部分はぐうたらな部類に色分けできるのです。(笑) 会下山と言えば、 楠木正成湊川の戦いの折に陣を張った場所ではないか。 楠木正成関連で何度か記事にしているわたしとしては、 これは行かねばなるまい。 時期も今がピッタリではないか。 という訳で行ってきました。 場所的にはJR兵庫駅から北へ一直線。 途中、坂がきつくなる。 会下山というだけあって、 やはり山だった。 まだ着いてもいないのに、 二度と来るかと思ったもんな。(笑) 普通に健康であればそんなに問題ないと思う。 年配の人も公園の中に居たし。 画像
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どうも名所ということで、 期待しすぎてしまったようです。 もっと桜が密集しているものだろうと、 それまでの固定観念で考えていたところ、 実際はまばらでした。 あくまでわたしの固定観念です。 人は知りません。 ただ、全国的に有名なところではないにしても、 地元の人達には近場でそこそこの桜があるので、 それなりに人気があるのでしょう。 画像
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今回桜を見ることはいわばおまけのようなもので、 メインは、楠木正成湊川の戦いで陣を張った、 その地に立ってみたかった、 それだけのこと。 大楠公 湊川陣之遺跡と言う碑文の彫られた石碑が、 公園の一番高いところの広場に建っている。 揮毫は 元帥伯爵 東郷平八郎画像
この遺跡の広場を挟んで反対側には、 海員万霊塔がある。 こちらも東郷平八郎による揮毫。 画像
どちらも、 「元帥伯爵 東郷平八郎」の下に、 二文字彫られていて、 「書込」と読むのだろうか。 意味としては揮毫でいいと思う。 この 大楠公 湊川陣之遺跡 を視野の隅に据えつつ、 神戸の市街地を見下ろしてみれば、 勝てるはずのない圧倒的な大軍を前にして、 正成が一体どのような想いであったのかを、 感じることが出来たような気がする。 それは正成の万分の一かも知れないが。 画像
ここに陣を置いた正成は、 どんな胸中だったろう。 兵庫津を埋め尽くすほどの、 敵水軍の軍船を見ただろうか。 轟き渡る鬨の声を、 如何に聞いただろうか。 死ぬことを覚悟した軍は強い。 強いというが、 ものには限度がある。 力が尽きれば終わるのだ。 そして、終わったのだ。 東郷平八郎日本海海戦で、 連合艦隊旗艦三笠で指揮を執り、 運命の大回転、丁字戦法、 東郷ターンによって日本を勝利に導いた、 世界的に有名な人。 そんな東郷平八郎がどういう経緯で揮毫したのかは、 はっきり知らないので触れないでおきます。 たぶんあちこちで揮毫を頼まれたことでしょう。 海員万霊塔については、 やはり海軍つながりなのは明白だと思う。 ただ、何故神戸に海員万霊塔なるものがあるのか、 それも何故会下山なのか、 これについても知識不足でわからないのですが、 金刀比羅宮神戸分社という神社があって、 風俗街で有名な福原地区の、 桜筋を山側へ行ったところにある。 画像
この神社は海の神様をお祀りしているそうで、 手水舎の屋根の裏には、 潜水艦の進水式の写真などが奉納されていたりする。 画像
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潜水艦のドックは勿論神戸港にある。 どうやら神戸と海軍は浅からぬ関係があるようだ。 それが何故会下山なのかの根拠としては弱いのは百も承知です。 福原には桜筋の他に、 柳筋、楠筋もあります。 下の写真は桜筋の様子。 画像
ちなみにこの福原の風俗街は、 旧湊川を埋め立てて出来た新開地商店街の、 東へ少し行ったところにあります。 もう少し東へ行くと湊川神社があります。 あぁ、行動半径が知れてしまう。(汗) 住所の特定はしないで下さい。(笑) 神戸は歴史ロマンがいっぱいですね。
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