dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

皇后陛下の水仙

1月17日でした。 阪神・淡路大震災。 1995年(平成7年)の1月17日。 もうふたむかし以上も前になるのか。 あの日の朝はやけに静かだったことを覚えている。 わたしは歴史などで何年に何があったとかを覚えるのが苦手で、 いや、年代と言うより数字が苦手なのだと思う。 もっと言えば端から覚えることを拒否しているようなところが自分の心のうちに多々あって、 覚えてどうする、 何か意味あるのか? とすぐ反発してしまう。 誰に対しての反発なのかもわからないで。 そうやって今日まで生きて来て、 大して不自由もなく済んでいるところを見ると、 オレの生き方は間違ってなかった、 と、ひとり心中、小さな幸せを感じていたりする。 ただのアホなのだということに気付きもせずに。 手を伸ばせば届く果実を、 その存在すら気づかずひたすら人生という道をゆく、 そしてそれが幸せだと? これがアホでなければなんなのだ。 阿呆には真の幸せは掴めないのか、 いや阿呆だからこそ掴める幸せがあるのか、 真の幸せを掴むことが本当に幸せにつながるのだろうか、 幸せを知らないことが、 果たして不幸なのか、 わからない、 わからない、 わからない・・・ ヒロシです。(笑) そんなわたしだが、 震災が1995年なのは覚えている。 自分にとって大きな出来事だから覚えているのではなく、 単に Windows 95 発売の年と同じだから。 覚えやすい。 補足しておくと、震災が大きな出来事でなかったと言っているのではない。 画像
今朝のニュースで、 皇后陛下が神戸の菅原地区の瓦礫の前で、 水仙の花をそっと置く映像を見た。 胸に熱いものを感じた。 その後、両陛下が体育館の被災者を、 用意されたスリッパも履かず、 膝を折り間近でいたわりの言葉をかけ、 励ますそのお姿が映された。 すでによく見る光景なのだが、 このときばかりは自分にとってこの震災を直に経験しているだけに、 あらためて大きな感動を憶えた。 そしてその感動が胸に充満し、 目から涙として溢れた。 あの時の水仙を、 記憶にとどめようと、 モニュメントのようなものになって、 すがはらすいせん公園にある。 画像
画像
わかりにくいが水仙です。 刻まれた字は 「哀悼と希望と・・・  阪神・淡路大震災の直後に天皇皇后両陛下にお見舞いいただき、 皇后陛下から水仙の花束をお供えいただきました。」 画像
画像
画像
この公園のあたりの震災直後の様子。 画像
震災前の商店街の様子。 賑わってるようだがよく見るとタスキ掛けていたりで、デモ行進中みたい。 画像
屋根付きベンチの柱に書かれた落書き。 誘惑/絆? 意味不明。 画像
映画「男はつらいよ」の撮影を記念して。 画像
アップで。
[兵庫土産] 神戸プリン(袋付き) 【あす楽対応】 (兵庫 土産 お土産 みやげ おみやげ 洋菓子 ゼリー・プリン 日本 国内土産)
世界のお土産通販【ギフトランド】
アイコンの説明について⇒[兵庫お土産] 神戸プリン(袋付き) MONDE SELECTION 201


楽天市場
ページトップへ戻る jQuery