どっかの金持ちがお金をばら撒くそうだ。
あまりに儲けすぎると、
どう使えばいいのか、もうわからなくなっているのだろうか。
屋上からお札を大量にばら撒いて、
貧乏人が取り憑かれたように我先に拾い合い奪い合う姿を、
どんな想いで観察しようというのだろうか。
悪趣味というほかない。
誰でも金は欲しいが、
わたしだって例外ではない。
欲しいのは欲しい。
だがわたしは決めた。
昨日決めた。
あの百万は、
たとえ飢え死にしても、
絶対貰わないと。
どっかで読んだか聞いたか忘れたが、
ヨーロッパでは人の価値というものを、
地位と名誉と富で決めるらしい。
貴族社会は特にそうだろう。
だが日本は昔から違うらしい。
富についてはそれを人の価値をはかる物差しとは見ない傾向があるのだとか。
今はどうか知らんが。
言われてみればその通りで、
民の竈(かまど)のはなしもそういうことに通じるだろう。
だいたい公家といえば貧乏だったのではないだろうか。
日本人は華美な装飾を好まない傾向が確かにある。
小村寿太郎なんかはいつもぼろい洋服で外交をしていたらしいし。
金がないのをなんとも思っていないのだ。
わたしは想う。
あの人は、
ダイヤモンドでも散りばめた墓石を、
作ればいい。
生きようと思えばどこでも生きられる。
壁の穴から生える雑草。