dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

小さな決意

朝の喫茶店、もうモーニングも飽きてしまっている。
AだろうがBだろうが大して変わり映えしない。
サラダのキャベツの千切りが冷えてなかったり。
トーストのバターは申し訳程度。
パンは旨いほうだ。
グレープフルーツは薬の関係で食べられない。
失礼だが店内は狭くて小汚い。
新聞のホチキスの留め方が雑だ。
並べればもっと不満は出てくるが止めとこう。

 

では何故ここに足が向くのか。
まずタバコが吸える。コーヒーのお代わりができる。
空いていればの話として四人掛けのテーブル席を一人で独占してもあまり気を遣う雰囲気ではないこと。
あくまでこっちの勝手な想いだが。
大して読みもしない新聞だが、大きく広げて読みたい。
満員の通勤電車でページをめくる小細工を、ここでしたくはない。

 


そんな訳でついつい足が向く。
その手にした新聞のコラムの中の見慣れない漢字に目にとまった。
はっきり見ようと眼鏡を動かしてみたり
外してみたりしたがこれが読めない。
ルビは振ってあったがなお小さいので判別できない。
読めないものは仕方がない。
スマホで写真に撮って拡大してみた。

 


躺平主義と書いてあって、とうへい主義と読む。
フォントによってはうまく表示されないかもしれない。
偏が身で旁が尚。
初めて目にした言葉で意味が気になったが、
漢字が判明した段階でもう読む気が失せていた。
帰ってゆっくり読めばいい、
そう思い新聞を畳んだ。

 


どうも活字が読みにくい。昔からそうなのだが、
耄碌したのか、いよいよ読みずらくなってきた。
それに探求心も薄れた。全般に根気がなくなっている気がする。
どうでもいいことは後回しするほうだ。
これは昔からだが。

 


で、帰ってスマホでゆっくり読むつもりが、
もう一か月を超えるだろうか、
いまだに読んでない。
いつでも出来ると思ったらいつまでもしない。

 


先日、ふと思い出してスマホの写真を開いてそのコラム記事を読んでみた。
なんでも、中国の雑誌の流行語についてのリポートに
「躺平主義」という言葉があったそうで、
中国では「躺平」とは寝そべっている様をいうらしい。

 


一人っ子政策も今は昔、幼い頃から進学競争に追い立てられてきた
今の若者たちが疲れ果て、無気力状態に陥っていることを言うらしい。
ちょっと意外な中国の一面に触れた気分を味わう」
とあった。

 


それがどうして主義になるのか、
躺平世代とか躺平症候群ではダメなのか、
と思ったがよその国にはよその国の慣例があるのだろう。
わたしごときがちょっかい出すこともない。

 


世界中に中国人街があって昔から清濁を選ばずどんなところにも繁茂する逞しさのある民族だと思っていたが、
本当に若者が無気力になっているのだろうか。
自分の生活圏の中だけで見た限りでは、
信号待ちで耳に飛び込んでくる中国語の頻度といい、
近くに日本語学校があるのだが、
たむろする若者の声のトーンといい、
とても無気力とは思えない。

 


留学生の数はどうなってるのか、
むしろ日本のほうが減ってるんじゃないだろうか。
一人っ子政策がなくなったのならもっとハングリーになって
外向き思考の強い若者が増えると思うのだが。
その競争に疲れ果てた若者が増えたというのか。
そりゃぁ分母が増えたのなら分子だって増えるだろうよ。
それだけの話しじゃねぇのかよ。

 


そんなことをぼんやり考えながら、
今日もその喫茶店で、
冷めたコーヒーを飲み干し、
そうだ、俺もとうへいでゆこう。
と小さく決意してノートパソコンを閉じるのだ。

 

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