dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

ちょっと大きめの病院に行ってきた

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これはなんという名の花なのでしょうか。
全然知らないことになんの疑問も持たない、
知らなくて当たり前だと、
関心のない分野に詳しくなくて何がいけないんだ、
と、開き直りながら生きてきたことを、
反省することもなく生き続ける人が、
世の中の大半を占めると思うのですが、
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別に花の名前に限ったことではない。
あらゆることに於いてそう。
知らないことを反省して生き方を改めるまでゆく人は稀だと思う。
まして、それ以前に、知らないことすら知っていない人が大半なのではないだろうか。

わたしの場合は、
知らないことを知っている。
そして反省もする。
だがそこから進まない。
積極的に知ろうとする生き方に改めようとしないのだ。
一言で言うと、
ずぼらなのだと思う。

昨日はちょっと大きめな病院に行ってきた。
写真の花はその時撮ったものです。
実は蝶が二羽舞っていたので、
それを撮りたかったのですが、
動きが機敏で、すぐに飛び去ってしまい、
また現れてはまた飛び立つという繰り返しで、
結局撮れなかった。

その蝶、子供の頃から見慣れているのに名前も知らなかったことに気付いた。
この記事を書くにあたってネットで調べたら、
アオスジアゲハだった。
そんなことも知らないことに、
今更気づいた。

黒地に青白い筋が一本入ったスポーティなアゲハチョウ。
飛翔力が高く、早いスピードで、樹木や花のまわりをめまぐるしく飛び回る。
とあった。
なるほど、見た印象そのままだ。
やっぱり調べたら納得するし、
得るものがあるなぁ。
反省はしても生き方を改めようとはしないと自分を分析したが、
きっちり調べとるがなとか言われそう。(笑)
だが、やはり、基本はずぼらから抜け出してない。

で、病院の話。
わたしの住む神戸では掛かりつけ医を持てと言うことで、
これは全国でそうなのだろうが、
普段の診療は近くの掛かりつけの医院で、
専門、高度な医療は大きな病院でということになっている。
かかりつけの開業医で紹介状を書いてもらって大きな病院へ行くということは、
それだけ病状が深刻度を増していると解釈出来ると思う。
ある意味憂鬱なのだが、
やれ大学病院で診てもらえているなどと喜ぶ人もいる。
まあ確かに高度な医療を受けられることは喜ぶべきかも知れない。
だが、そのことが人間のまるでステータスなのだと言わんばかりに、
自慢げに言う人が居たりする。
少なくともそう聞こえる。
何かが違う気がする。
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自販機のコーヒーを啜りながら廊下の長椅子に座り、
壁の額を眺めていると、
気が滅入ってきた。
陰気な絵だ。
描いた人には悪いが、
もっと他にありそうなもんだが。
その時のわたしの気分が、
そのように見せていることはわかっている。
でもどう客観的に見ても決して明るい絵とは言えないのも事実だと思う。

昔骨折で入院していた時、
看護師さんが言っていた。
外科病棟は相対的に明るい、
若い人が比較的多くて、
怪我が治ったら元通りになる事が前提だから。
内科関係はそうは行かない、
比較的高齢だし、
治って元通りに元気になるとも限らない。
みたいなことを言っていた。

一概には言えないけど、
現場の看護師さんの言うことだし、
そういうものなのかも知れません。
滅入らせたらすみません。こうなったらヤケクソです。もっと滅入るうたです。(笑)
https://youtu.be/6njISdzp7J8
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