dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

只者か只者でないか

湊川神社20200617_019R.jpg
金をばら撒く人がいる。
悪趣味だ。
と、以前書いた。
百万円を得てなにを失うか

その人がまたばら撒くそうな。
ネットのニュースをたまたま見て知ったのだが、
もうすでに何回かばら撒いているとのこと。
あちこちで批判的な声があるのを、
知らないはずもないだろうに、
敢えて続けるのは、
なんの意味を見出してのことだろうか。
「お金を配るといろんな声が集まる。フォロワーも増える。それは起業家にとって事業作りのヒントやチャンスになる。
みんなが喜ぶ事業を作ればまた儲かる。儲かったらまた配る。誰も損しない究極のエコシステム。」
と言っているらしい。
これまでに23億ばら撒いたらしいが、
思い描く究極のエコシステムに少しは近づけたのだろうか。

凡人のわたしには、
お金を弄んでる悪趣味な金持ち、
としか見えない。

そんな世間の批判的な声に怯むことなく、
自分の考えを信じひたすら突き進むのもまた名誉ある生き方の一つではあると思う。
出る杭は打たれるというが、
出すぎてしまえば打つ者もいなくなる。
寧ろ認められ尊敬を集めるだろう。
そんな”出る杭”に、この人はなるのだろうか。

単なる思いつきのばら撒きではなく、
なにか大きな目標のための手段なら、
評価しても良いのかも知れない。
このニュースを知ってからは、
段々そんなふうに想うようになってきた。

しかし判断はまだ早い。
もう少し見ていよう。
只者か只者でないかを。

人間は変わる。
例え成金の悪趣味で始めたとしても、
途中で高い理念を見出すこともあるだろう。
これだ!と思ったら、
ひたすら突き詰めるのも立派なことだ。
失敗しようがしまいがだ。
結果はあとからついてくる。
要するに賭けなのだ。

ただ、それが善でなければ、
人はだれもついてこない。
善悪の匂いというものを、
大衆は意外と正確に嗅ぎ分ける。

お金ばらまきをお金配りに言い換えるそうだが、
そんなことはどうでもいい。
信念があるなら貫け。
もう賽は投げられた。
勝負は始まっている。
結果が出るまで貫け。
この人、歳なんぼやねん? って思ってしまいます。
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