思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅては
なんだか自信が持てないよ
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう
考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
中原中也の頑是ない歌という詩です。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、
と謡い舞って本能寺で死んでいったのは織田信長。
と思っていたのだが、
昔見たNHKの大河ドラマの国盗り物語だったろうか、
記憶では本能寺だと思っていたが・・・
記憶違いかな。
wikiによると桶狭間出陣前に舞ったとなっている。
この記憶の真偽の検証はさておき、
人間界の五十年は天界ではほんの一瞬でしかない。
そんな、一人の人生というものは、
なんと儚い、夢幻の如きものよ。
というような意味だと思うのだけれども、
中也のこの詩が、
どうも妙に信長の舞う敦盛の一節と、
リンクされる。
実は妙でもない。
わかっている。
齢いを経て、
十二の頃から五十年余を過ぎた今、
しみじみ想う。
あの時の汽笛、
あの時の月、
あの頃の俺はいまいずこ、
と。
畢竟、生きてゆくしかない、
と。