dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

頑是ない歌


バス亭201908001.JPG

思えば遠く来たもんだ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ
雲の間に月はいて
それな汽笛を耳にすると
竦然として身をすくめ
月はその時空にいた
それから何年経ったことか
汽笛の湯気を茫然と
眼で追いかなしくなっていた
あの頃の俺はいまいずこ
今では女房子供持ち
思えば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであろうけど
生きてゆくのであろうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこいしゅては
なんだか自信が持てないよ
さりとて生きてゆく限り
結局我ン張る僕の性質
と思えばなんだか我ながら
いたわしいよなものですよ
考えてみればそれはまあ
結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして
どうにかやってはゆくのでしょう
考えてみれば簡単だ
畢竟意志の問題だ
なんとかやるより仕方もない
やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ
十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた
汽笛の湯気は今いずこ

中原中也の頑是ない歌という詩です。

人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり、
と謡い舞って本能寺で死んでいったのは織田信長
と思っていたのだが、
昔見たNHK大河ドラマ国盗り物語だったろうか、
記憶では本能寺だと思っていたが・・・
記憶違いかな。
wikiによると桶狭間出陣前に舞ったとなっている。

この記憶の真偽の検証はさておき、
人間界の五十年は天界ではほんの一瞬でしかない。
そんな、一人の人生というものは、
なんと儚い、夢幻の如きものよ。
というような意味だと思うのだけれども、

中也のこの詩が、
どうも妙に信長の舞う敦盛の一節と、
リンクされる。
実は妙でもない。
わかっている。

齢いを経て、
十二の頃から五十年余を過ぎた今、
しみじみ想う。

あの時の汽笛、
あの時の月、
あの頃の俺はいまいずこ、
と。

畢竟、生きてゆくしかない、
と。

初めて聴いたのは中学生の頃だったろうか。
1990年は遥か遠い未来だったのに。
https://www.youtube.com/watch?v=aI-H9zQFemA
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