dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

人は変わるのか?

2020-10-09_16h16_31.png
小学生の頃の話。
あれは3、4年生のときだったろうか。
クラスに地味なおとなしい女の子がいた。
そしていつも暗い。何故か暗い。
キャッキャ騒ぐのを見た記憶がない。

ある日、授業の前に、
その子の母親が教室に現れた。
先生の前置きの後、
教室に入ってきた。

ずっと長い間入院していて、
娘の面倒をろくに見てやれなかった。
辛い思いをさせてしまった。
クラスのみんなにも、
なにかと迷惑をかけてしまった。
これからは普通の生活に戻れるので、
母と子で頑張りますので、
みなさんも娘のことを、
これからもよろしくお願いします。

そんな挨拶だった。
退院したぐらいで親が教室に挨拶に来るか?
大袈裟な、と子供心に思ったが、
それを境にその女の子、
見る見る明るく活発になった。

もう信じられないくらい、
使用前と使用後みたいな、
今風に言うとビフォーアフターみたいな、
551の蓬莱の、ある時~、ない時~みたいな。(笑)
そんな変わりよう。

毎日家に帰って体操服を洗ったり、
給食のエプロンを洗ったり、
朝歯を磨こうとしたら歯磨きがなかったこともあっただろう。
遠足の弁当はどうしていたんだろう。
他に家族がいたのかどうかまでは知らないが、
さぞ辛い思いをしたことだろう。

それがその日を境にガラリと変わった。
やはりみんなの前で本当のことを話したことで、
胸のつかえが取れたのだろう。
ああ、そうだったのか、
とみんなが自分の事情を理解し共有してくれるんだと思うと、
それだけで未来は明るく開けると感じたんだろう。
共有することで仲間意識が芽生える。
やはり、母親がみんなの前で直接話したことが功を奏したようだ。

それに何より元の生活に戻れる嬉しさがある。
鬱屈した思いから解放されて、
自分はなんでも出来るとさえ思っただろう。

以来、その子は明るい活発な性格に変わった。
わたしは、人が変わるのを、
その時初めて、目の当たりにした。

人は、変わるものなのだ。
と想い半世紀以上生きてきたが、
上の話が稀な例であることに、
いつの頃か、気づいてはいた。

今考えてみれば、
母親の退院をきっかけに、
本来持っていた性格に、
再び戻っただけのことかも知れない。
それも変わったの範疇に入ると言えなくもないが。

三つ子の魂百まで。
栴檀は双葉より芳し。

などというところを見ると、
やはり人というものは、
本質は変わらないのかも知れない。

主義主張は変える人は比較的よく見る気がする。
しかし本質的な考え方として変わったのか、
私利私欲、処世のための、所謂変説なのか、
見極める必要がある。

歳とともに角が取れて丸くなるということがある。
しかしそれも丸くなっただけで本体は元々ある本体だ。
本質は変わってないだろう。
魂の底から変わるということがあるのだろうか。

人は変わるのか?
どこまで考えても、
わたしごとき浅学非才に、
結論の出ようはずもなし。
圧倒的な声量と表現力。
https://www.youtube.com/watch?v=V0pJDmbXniE
ページトップへ戻る jQuery