dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

守り子の悲哀

2020-11-15_18h46_06.png
子守唄といえば母親が我が子を寝かしつけるときにだいたいは唄うと思います。
ところが守子唄といわれるものがあって、
子守奉公に出された子供たちが、
自分の置かれた境遇の、
辛さ悲しさなどを歌ったものをそういうようです。
そういう歌を、歌詞をじっくり追いながら聴いていると、
感情のコントロール機能が年齢に比例してガタが来ているわたしとしては、
瞼が熱くなるのを禁じえないのです。
それどころか、夜横になって聴いている場合ですが、
溢れ出る涙が居場所を失って、
頬を伝って耳に流れ込むまでになるのです。
幸い、Bluetoothのイヤホンが、
壊れることはこれまでのところはなかった。
五木の子守唄
おどま 盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が 早よ来りゃ 早よもどる
おどま かんじん かんじん
あン人達ゃ よか衆
よかしゃ よか帯 よか着物
おどんが 打っ死ンだば
道端ゃ いけろ
通る人ごち 花あぎゅう
花は 何の花
つんつん椿
水は 天から もらい水
「道端ゃ いけろ」ってのは、
打っ死ンじまったら道端に埋めてくれってことかな。
自分を椿の花に見立てて、
死んでしまったときには、
椿の一本でも道端に植えてくれってことかな。
その椿を見て、時々は思い出してくれろってことかな。
どっちにしろ、やすやすとは実家には帰れない、
悲壮な覚悟をある程度は持っていたということのようだ。
ちなみに、椿の花は、落ちるときは丸ごと落ちる。
島原の子守唄
おどみゃ島原の おどみゃ島原の
ナシの木育ちよ
何のナシやら 何のナシやら
色気なしばよ しょうかいな
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
鬼(おん)の池ン久助(きゅうすけ)どんの連れんこらるバイ
帰りにゃ 寄っちょくれんか
帰りにゃ 寄っちょくれんか
あばら家じゃけんど
芋飯(といもめし)ゃ粟(あわ)ン飯 芋飯ゃ粟ン飯
黄金飯(こがねめし)ばよ しょうかいな
嫁御(よめご)ン 紅(べ)ンナ 誰(た)がくれた
唇つけたら 暖(あ)ったかろ
沖の不知火(しらぬい)に 沖の不知火に
消えては燃えるヨ
笛や太鼓も 鳴りやんだ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
早よ寝ろ泣かんで オロロンバイ
「鬼(おん)の池ン久助(きゅうすけ)どん」とは、恐らく女衒のことで、
貧しい家庭の年頃の女子を娼館に売り渡す斡旋業者のこと。
この島原半島は、唐行きさんが多くいたそうだ。
唐行きさんとは主に東アジア・東南アジアに渡って、
娼婦として働いた日本人女性のこと。
守子として奉公をするような、貧しい家の娘にとっては、
恐怖なのだろう。
竹田の子守唄
守りもいやがる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし
盆がきたとて なにうれしかろ
かたびらはなし 帯はなし
この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら
早よもいきたや この在所越えて
向こうに見えるは 親の家
向こうに見えるは 親の家
親の家が見えているのに、
帰るに帰れない。
盆が来たとて、着飾る着物もない。
背中の子供は泣き止まない。
おんぶひもが、肩に食い込む。
守り子の悲哀が満載。
ここまでは皆守子唄であろうと思っているのですが、
次の「中国地方の子守唄」はどうだろうか。
中国地方の子守唄
ねんねこ しゃっしゃりませ 寝た子の 可愛さ
起きて泣く子の ねんころろん つら憎さ
ねんころろん ねんころろん
ねんねこ しゃっしゃりませ きょうは 二十五日さ
あすはこの子の ねんころろん 宮詣り
ねんころろん ねんころろん
宮へ 詣ったとき なんとゆうて 拝むさ
一生この子の ねんころろん まめなよに
ねんころろん ねんころろん
守り子の辛さが感じられない。
かといって、母親が我が子に対して、
起きて泣く子がつら憎いなどと表現するだろうか。
しないこともないだろうが、
う~ん、ちょっとわからない。
今日は、守子唄に没入してしまったので、
記憶に残すために書き残します。
引用した歌詞と実際の動画で歌われている歌詞が
違っている場合がありますが、
まあ、伝承されてきた歌詞も色々あり、
どの部分を採用するかなどで、
そういうことも起こります。
そもそもここで引用した歌詞は、
動画からの引用ではありませんので。
倍賞千恵子さんの歌い方というか、
声というか、
わたしとしてはしっくり来るものがあります。
なんでだか、身近に感じる気がします。
小さい頃、姉が歌ってくれてるような・・・
日本的で、飾り気のない、素朴な、
そんなお姉ちゃんのような、
気がします。
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