ブルータスよお前もかと言って死んでいったカエサル。
その最後の一息、その最後に吐いた一息は、
今どうしているのか。
分子レベルで今やあちこちに散らばっているだろう。
その一つや二つは今わたしが吸った空気の中に含まれているんだろう。
今わたしが吸ったカエサルの最後の一息の、
その一つの分子がどんな経路を辿ってわたしの体内に取り込まれたのか、
想像すると面白い。
こうやって全てのものは混ざり合ってゆく。
どうやって自分と他人を区別するのか、
わからなくなってくる。
「俺はあいつが嫌いだ、一緒の空気を吸いたくない。」
などと言ってみたところで無意味なのだ。
昔テレビで見た、
これもしかすると前にも書いたかも知れないが、
確かNHKだったと思う。
三人の鼎談だったように思う。
二人だったかも知れない。
なにせ古い記憶でうる覚えなもんで。
一人は五木寛之だったと思う。
奇人で有名な佐久間象山の話が出て、
おこもさんの出した吐しゃ物を手ですくって飲んだと言う。
さっきから言ってるように記憶が曖昧で、
五木寛之も話に出てくる佐久間象山も、
みんなわたしの記憶違いかも知れない。
だけど、象山ならあり得ると思うから面白い。
細胞レベルでというのか、
分子レベルでみんな入れ替わってるんだ、
自分も他人もクソもありゃしない、
普段食ってる肉や野菜とおこもさんの吐しゃ物と、
どこがどう違うんだ。
そんなふうに考えるようになったきっかけが、
この番組だったように今になってみれば思う。
あの空に浮かぶ白い雲の、
水蒸気の一粒が、
廻り廻ってわたしの体内に入る。
そしてまた廻り廻っておこもさんの口にも入る。
ものはみんな循環する。
とりとめのない、まとまりのない話になってしまいましたが、
最近あることでまた思い出したので、書いてみました。
思い出すきっかけになった言葉が、
これです。
私はあなたであった。あなたは私になるだろう。
Tu fui, ego eris
この動画の最後に出てきます。