あと二週間ほどすれば正月だというのに、
なにもせずネットの海を彷徨うばかりの今日このごろ。
なにかに追われている気がする。
やるべきことを後回しにするというのはいつもの癖だし、
どうせ大勢に影響しないことはわかっているのに、
なんなんだろう、この焦燥感。
そんな中ネットで見かけた「もしもし」。
そのページは言い切ってるではないか。
もしもしはオノマトペだと。
そんなあほなことはあるまいに。
電話で呼びかける時に申す申すと言ってたのが
もしもしになったとそう教えられたように思う。
それがホントなら、オノマトペであるわけがない。
擬態語でも擬音語でもなかろうよ。
そうだ、今流行りのAIに聞いてみよう、
という訳で、マイクロソフトのCopilotで聞いてみた。
問:
もしもしはオノマトペですか?
答:
はい、その通りです。「もしもし」は日本語のオノマトペ(擬音語、擬態語)の一つで、電話での挨拶や繰り返し言葉として使われます。オノマトペは、耳にする音や声、見ている状態や動きなどを表現した言葉で、日本語には非常に多くのオノマトペが存在します。例えば、「ざーざー」は雨の音、「びしょびしょ」は濡れた状態を表現します。これらの言葉は、日本語の魅力的な特徴の一つであり、日常会話で頻繁に使用されます。
だそうな。なんじゃこりゃって感じです。
はいその通りですと言い切ってる。
そんなはずはないだろうと思いつつも若干の不安がよぎる。
回答の根拠になったソース元を見ると、
確かにオノマトペと言っている。
だがその根拠に言及がない。
Copilotの回答で提示されたソース元は複数あったがどれも
同一のカードゲームを扱うサイトのよう。
そこでは繰り返し言葉という表現もある。
確かにもしもしは繰り返し言葉だが、
繰り返せばオノマトペになると考えているのだとすれば短絡的すぎる。
「もしもし」も「おいおい」も「こらこら」も「ますます」も
「いよいよ」も、オノマトペな訳がない。
と高らかに言い切りたいが、言い切れない。
何故ならわたしの感覚でそう思うだけだから。
でもちょっとは自分で調べたけどね。
一つ挙げるとここ。
https://www.icc.ac.jp/nakayama/03.pdf
感動詞とは、
『研究社日本語教育事典』によれば、単独で使われ、活用をせず、述語や修飾語や補語等にならず、主に、発話の時点と場面での話し手の心的態度や認知状態を表す語のことである。例えば、「あ」「もしもし」「いいえ」「ねえ」「こら」「おはよう」等が感動詞にあたる。
全部読んだわけではないので重大な見落としがないものとすると、
「もしもし」はオノマトペとは言えないようだ。
更に調べてみると、
小児病棟で聞こえる不思議な言葉
「マキマキしてシュポシュポするよ」「モシモシさせてね」「チックンだよ」、小児病棟で聞かれるこれらの言葉が何を意味しているのかわかりますか? これらの言葉は大人には「血圧を測ります」「聴診器をあてます」「採血します」と伝えているものです。
なるほど、幼児語として幼児が使ったり、
もしくは幼い子供にわかるように大人が伝える目的で
「もしもし」を使うのなら、それは最早擬態語と言ってもいいのかも知れない。
でも普通に電話での「もしもし」はオノマトペでないからね。
調べれば調べるほど日本語は難しい。
わたしの主張は間違ってますか?
「どんぶらこ」は桃以外で使ってはダメなの?
YouTubeで誰かが言ってたのを思い出してしまった。
年も暮れようかというこの時期に。(笑)
タイトルに相応しいうたを思い付いたので、
あの日電話が・・・
https://www.youtube.com/watch?v=Tt4J5bRyKdk