たぶん、最初に使った人がいて、
それをみんなが、あぁ、それいいな、それオレも使おう、
となって多くの支持を得て定着してゆくんだろうな。
それをみんなが、あぁ、それいいな、それオレも使おう、
となって多くの支持を得て定着してゆくんだろうな。
つまりみんな同じ感性でいて、
その語感に同じイメージを抱く。
そして、その膨らんだ共通のイメージが、
他の表現を駆逐して覇権を握る。
そんな感じなんじゃないかなと思う。
その語感に同じイメージを抱く。
そして、その膨らんだ共通のイメージが、
他の表現を駆逐して覇権を握る。
そんな感じなんじゃないかなと思う。
やっぱり一旦覇権を握るとなかなか引きずり下ろすのは難しい。
たとえイメージが合わないなと思っても、
意思疎通や社会生活を円滑に送るためには、
やっぱり皆が使うオノマトペを使いがちになりがちな気がしがち。(笑)
「雪がしんしんと降る」
考えようと言ったが、考えてもわからない。
降る雪に音があるのか。
誰しもがそうだと思うが雪の降る音はないと思う。
ない音をしんしんと表現する。
これは実に面白い。
音がしないのに擬音語でしんしんと表現する。
これはある意味大革命ではないのか。
大発見ではないのか。
大発明か。
0(ゼロ)はインド人が発明したそうだが、
それに匹敵する大発明ではないか。
ないものを表現する。
こんなオノマトペが、日本以外にもあるのだろうか。
あったら誰か、こっそり教えて下さい。
しんしんが擬態語ならどうなんだろう。
雪が降る音じゃなくて降ってる様子。
様子を描写した擬態語だとしても、
やっぱり音のない状態を表した表現だし、
やっぱり 0(ゼロ)の発見に匹敵する大発見なんでは?
日本以外になければの話ですけど。
0(ゼロ)が発見なのか発明なのかについては、
話がややこしくなるのでスルーしよう。うん。(笑)
雪が降る様子だけで使われるわけでもなさそうで、
深々と夜が更けるとか、
森森とした森、なんていう表現があるかどうか知らないけど、
漢字になってくるとまた違った感覚が湧いてきて、
オノマトペかどうかさえあやふやになってくる。
これはわたしだけの感覚かなぁ。
どっちにしろ静寂な世界を表してる。
オノマトペも深いなぁ。
擬音語と擬態語に無理して分けるのは、
間違っているんじゃないだろうか。
他所の国はどうか知りませんが、
日本人は擬音とか擬態とかの区別を、
あんまり意識してないんじゃないのかなぁ。
そう思うのはわたしだけかなぁ。