dandelion-hill

タンポポの綿毛に息を吹きかけて 誰かに届けと書いてます

毒を食らった後の皿をどうしろと言ってるのか

毒を食らわば皿までとよく言います。
皿までどうしようというのか、
ということについてダラダラと
想うまま書こうかと。

 

どうせ悪事を働いたならとことんやれ、
というような意味かと思います。
皿までどうせよと言ってるのかについて書く前に、
このことわざ自体についての解釈をすこし。

 

あくまで自分流の解釈ではあるのですが、
なにも悪事に限らないのじゃないのかと、
いつも思います。

 

悪事は正義から見れば確かに悪でしょう。
対立する考えが二つあってお互い自分が正義だと主張する。
当然相手方は悪党だ。
双方がそう思ってる。

 

正義は一つではないということ。
立場によって変わる。
だから自分が悪党の側に所属しようと正義の側であろうと
信じたことをとことん貫け、
評価は後世に任せろ。

 

と言ってるように思ってます。
単純に、悪いことをしたら悪いことをやり通せと言ってる
ようには捉えたくない。
という想いがわたしにはいつもあります。
それが正解かどうかは知りません。
わたしの勝手な解釈です。

 

さて、皿をどうしろというのかについて。
わたしは昔から、
毒を食らったなら皿まで食らえ、
と言ってるものだと思ってました。
皿までバリボリと食っちまえと。

 

どうせ毒を食ってるんだから皿をバリボリ噛んで
飲み込んで口も喉も血だらけになったってどうせ運命は変わりはしない、
ということだと思っていました。
それが理にかなってると。

 

しかしそうじゃなく皿を舐めると言う解釈があることを知りました。
正直驚愕しました。
インパクト弱っと。
そんなはずはなろうよと。

 

毒まんじゅうをたらふく食った後で、
どうして皿にわずかに残った毒を舐める必要があるのか。
そんなことわざ無意味ではないか、
と思ってしまうのです。

 

毒を食らった後でなおまた別の危険をあえて犯す、
そういうことをこのことわざは言いたいのではないだろうか。

 

そんなふうに考えたのですが、
わたしの考えは独りよがりなのかなぁ。

 

毒を食らった後の皿を、
どうしろと言ってるのかについてでした。

 


散歩写真。
ポートタワーが、工事が終わったようです。

 

前に来たときのポートタワー。

 

 

 

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=CbwdI45vkDM

 

 

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